ポップスにおける即興性と理想的な受け手文化

いわゆるJ-POPがダメな理由はいくつかあって総体的に観てダメなのですが、その一つに絶対的な主旋律が与える一方的な価値観の強要と共用があります。そして音楽的に致命傷なのはその作品一つ一つに制作段階においての即興性が皆無であるという点です。たとえばセールスやコマーシャリズムに翻弄された状態で作曲を始めるとどうしても規制概念ばかりで曲が作られていきます。誰しも自由にメロディを生み出し、新しい音楽を作るには、そこに規制概念を無視した即興性が必要なのです。即興音楽というジャンルの音楽は何も規制がない状態で演奏を始め、それを聴いたり録音したりします。作曲した作品を残すにしてもまず音を出したり頭の中でアイデアを考えたりするはずです。その段階には必ず即興が関わってくるはずなのです。さあ今から新しい曲を作ろうという時に既に出来上がったメロディや構成を宛がって組み立てるだけでは駄目なのです。昨今ポップスといわれるもののほとんどがそんなやり方で作られているのです。なぜそういう作り方が氾濫しているかというと純粋な新しい音楽が短時間で受け入れられないからです。彼等はポップスを作って収入を得なければなりません。その為には良質な規制のメロディを巧みに組み替えて感受性に訴えかけずに発作的に無意識に消費者の脳に残りやすい曲を作っていかなければならないのです。なぜそのような新しくない音楽が受け入れられるのでしょうか。私は学者ではないので科学的な根拠を述べることはできませんが一人の作り手として思うに原因はやはり聴き手にあるのではないかと思います。多くの聴き手は音楽を当然のように消費します。しかし音楽、いや芸術というものは消費されるべき娯楽ではありません。人々の生きる糧になり、生活に溶け込んで鑑賞されるエネルギー源です。決して疲れた体を癒すような即物的なものではないのです。しかし人々は音楽にそういった衝撃を求めません、時々愛だの恋だのと表層的な言葉には気まぐれに反応して共感したと錯覚してしまったりしますが、音楽そのものに影響されることを望んではいません、それどころかそういう音楽は耳障りだということで除外されます。普段の生活にそういう刺激は効果的ではないと判断してしまうのです。少し話を飛躍させますが、人間というものは誰しも周りの世界、環境に影響を受けて生きています。受け手が作り手の作品に影響を受けると同時に作り手も受け手の批評に影響を受けるのです。したがって作り手だけが一方的に新しいものを求めても受け手にその気が無ければその新しいアイデアは実を結ばずに終わってしまうのです。ある高名な芸術家が芸術は芸術家だけが作るものではなく人間なら誰しも芸術を作るべきであると述べていました。それは陰に作り手として受け手として両方の意識を理解していないと新しい芸術が誰にも認められずに終わってしまうということを言っているのです。作り手は創作すると同時に鑑賞を、受け手は鑑賞すると同時に創作しなくてはいけないのです。そうすれば日々新しいものが求められ日々新しいものが作られていくでしょう。ある知人のミュージシャンが音楽は元々そんなに売れるものではないと言いました。確かにそのとおりだと思いました。多くの人が受け手であると同時に作り手であるならば、人の真似だけで作られた音楽がこんなに売れるはずがありません。だってそんなものなら自分でも作れてしまうから、わざわざお金を出して買う必要がないじゃありませんか。昨今は国の経済的な理由もあるにせよレコードが売れない時代だと言われています。それは日本人の受け手としての意識の変容も作用しているかもしれません。少し前から日本でオタクという言葉が飛び交っています。このオタクは日本のクリエーションの行く末を示唆する存在になってきています。つまりこれは今までの一方的に作り手から発生する芸術文化が作り手と受け手が、創作と鑑賞が同時に作り上げる芸術文化に変わろうとしているのではないかと思うのです。一般的に流行語としてアニメやフィギュアを愛するオタクという表層的なイメージでしか認識していない方にはオタクと芸術を結びつけることは難しいかもしれませんが、それはメディアなどの取り上げられ方が受け手としてのオタクというニュアンスが強いからです。そしてオタクブームのせいでオタクという固定的なイメージが作られてしまいました。それは萌えだとかメイドだとか目の大きなキャラクターだとかそういう既成概念で出来てしまっていて先に述べたJ-POPと同質のものなのです。本当のオタク、すなわち作り手意識を理解している受け手の方々はそういう意味で作り手にとって理想的な受け手であると言えるのでしょう。それがたまたまオタクという少々根暗なニュアンスの日本語だったというだけでそれはこれから生まれるであろう新しい芸術にとって必要な要素です。現にある美術家がオタクをキーワードに世界で展覧会を開いたためそれが話題になってアメリカなどでもオタクブームが起きています。そこで実際に扱われた作品の良し悪しを抜きにするとして、これは日本の美術が作り手としてだけではなく受け手としても一つの文化として認められたことを意味しているのではないでしょうか。美術界でこういう現象が起きているのであれば音楽にもやはり同じような意識が普及するかも知れません。少々話が逸れましたが、ポップスとはポップなメロディで作られた音楽ではなく、広く一般に認知された音楽であるということを覚えておいて欲しいのです。常に新しい音楽がポップフィールドで生まれていくのだとしたらそれはとても素晴らしいことなのではないでしょうか?そうなるにはまず日本人全員が真のオタクにならなければいけないかもしれませんね。