ラップ現象大いに世に憚り

ラップは日本語に合わないという分析が取り沙汰されました。まず僕の中にラップという括りがないので是非ヒップホップで括らせていただきたいのですが、日本人にラップが合わない以前に、日本人がラップにあわせる必要はどこにもないですし、才能のある音楽家は多分そんな次元で捉えていないでしょうし、例えばヒップホップはサンプリングの可能性を見出した一つの手法と考えると、その影響を受けて素晴らしい音楽を作った日本人は沢山いるわけで、RUNDMCがいなければスチャダラパーも存在していなかったかもしれないわけです。無論アメリカ人の真似して手を前にかざしている様な奴らは放っておけばいいのですから(手を前に翳し、したり顔でアニメソングを歌うグループもいたりなんかしたり)。それにラップ自体が新しい歌唱法かと問われれば、それは微妙なところであるし、あとは聴く人の好き嫌いで篩いに掛けられればいいのであって、ボーズのラップが心に響く人もいれば英語の方がしっくり来る人もいるのではないかと思うところであります。まあこれは偏った見方ですが、80年代に入っていわゆる黒人にしかないリズム感はサンプリングの普及によってある意味崩壊したのではないかと思っているので、ラップのアクセントやら子音がどうのこうのという論点が個人的に気に食わなかったりしています。。