少女漫画という自由な制限

nyaaano2006-01-31

先月(まだ今月)は「まんが道」を全巻買ったし、今月(2月のこと)は一冊か二冊をじっくりゆっくりほっこり読もうと思って、まんが道で足止め食らってた少女漫画に再び手をつける。で買ったのが川原泉の「空の食欲魔人 (白泉社文庫)」という短編集。
いきなり”お経読みに没頭するご婦人の横で団子を貪るパイロット”という奇天烈なイントロカットに驚嘆し、デフォルメとシリアス(美形の画は何ていうの?)の錯綜と逆転に目から脳への刺激を笑いに昇華させながら読み進める。
少女漫画という制約は実はとっても自由であり、この制約があるからこそ想像の範疇を広げて他の漫画には無い発想でもってリアリティを追求できるとっても都合の良いジャンルである。いわゆる「恋バナ」をそのままジャングルや宇宙に持って行っても少女漫画であるが故にそのリアリティは損なわれない。よしんば受け手がリアリティに欠如を見出した場合、そいつは無理解者としてすぐさま少女漫画というコミューンから弾き飛ばされる仕組みになっている。ある意味閉鎖的であるが、そこに少女漫画の高水準の本質がある。理解できない受け手に惑わされて作品が弱くなることもない。そういうソーシャルなネットワークがちゃんと形成されている(という勝手な僕の妄想イメージ)。
いや正確には形成されていた。だ。多分今はもうそんなテリトリーも侵食されて崩壊してしまった。なにが侵食したかっていうと結局は受け手、オタクだ!オタクが独自のフィールドを展開させて少女漫画に限らず漫画界全体を、いや美術界をも巻き込んで世界規模で進化した!受け手だと思っていたオタクが実は作り手だった!なんていうケースもしばしば、そいつらは評論と創造を同時に進行させ、時には芸術を嘲笑い、時には芸術に没頭し、果ては自分の部屋に閉じこもってそこで培った錬金術を活用!そして分厚い本とどこかで観たことあるような複製可能のでっかいオブジェを売りさばいて巨額の富を得、街を一つオタクの国に作り変えた!その間にも、インターネットという架空の世界を利用して支持者を増やし生活の余裕を心の余裕にすげ替えさせていつのまにかネット以外のメディアを乗っ取り、メインストリームに躍り出ると、自分たちを題材に脚本を書かせドラマを流して洗脳し、あらゆるメディアで自分たちの正当性をアピール!そして企業を興した彼らは経済をも巻き込み莫大な資産を生む。流行のベンチャー、IT企業なんてのは実は全部オタク!その根底にあるのは「萌え」というたった一つの感情だけ。広告会社だろうが金融会社だろうが、そこに「萌え」という冠を付けて乗っ取る!でもってその資産力で政治家にも支持を仰ぎ、オタクという国家資格を認可させ、一つの権力にまで登りつめたのだ!
そんな組織から出版される少女漫画のキャラクターは何故か皆ルーズヘア!かつての少女漫画から授かった恩恵(ストレートな黒髪、パーマをあてた金髪)など忘れ、終始オタクのニーズに沿った作品作りに明け暮れるのだ!
だがそんなオタクにも宿敵がいた!サブカルだ!彼らは芸術や文化に対するスタンスはオタクと似通っているものの、常に富を嫌い、金で買えないプライスレスな体験を求めて彷徨う。常に自分の評価に不満を持ち、メインストリームで持てはやされる作品は端から否定。受け手としてはオタクよりも更に捻くれた感性を持ち、一度気に入ったものは手放しで褒め称え、その作者の人間性までも全肯定し、それが異性であれば恋愛感情さえ抱いてしまうというある意味マイペースで平和主義。受け手だと思っていたサブカルが実は作り手だった!なんていうケースもしばしば、そいつらは評論と創造を同時に進行させ、時には芸術に終末感を覚え、時には芸術に没頭し、果ては精神世界に閉じこもってそこで養った宇宙のパワーを解放!そして薄っぺらいフリーペーパーと世界に一つしか存在しないオリジナリティ溢れるオブジェで水面下で少ないが、しかし確固たる評価を得る。気が乗らない日はインターネットという架空の世界を利用して自分の存在と才能をアピール。時には巧みな言語感覚でもってオタクを触発させ、あえて「萌え」る議論を交わし自分のブログのアクセス数を稼ぐ。この少数派がなぜオタクの脅威として認識されているのか?それはオタク支持派がサブカル派に乗り換えるケースが多いからである。もともとオタクとサブカルは日本のマニア層が二極化したものであり、非常に分別しにくい対象物も多い。今までオタクを支持していたマニアがサブカルに傾倒していくのも不自然ではないのだ。だがその逆は有り得ないと言ってもいい。サブカルに対する支持は確固たるものが多く恋愛に近い傾倒度があるからだ!一度掴んだら離さない!双方のターゲットがどちらもマニア層(今日ではほとんどの日本人はこれに属している)であるが故の嵯峨である。オタクが決して全体を取り込めないのはサブカルがメディアやメインストリームを信用しないからでもある。そしてサブカルは”おしゃれ”である!この要素がオタクのコンプレックスの源にもなっており「脱オタクファッションガイド」なる本(コンプレックスを逆手にとってビジネスに結びつけてしまった。オタクはやっぱりハングリー!)まで出版してしまうほどだ。このように少数派でありつつも不思議な力で社会と結びついてその勢力を決して絶やさないのがサブカルなのである。
この二極化に始まる日本の社会文化構造はポジティブな見方をすれば、平和で豊かな国が文化、経済共に均衡を保ち続けるための手段だと言える。だが、マニア層の根底にあるのは懐古主義であり、受け手人口がマニア化し、そのまま作り手にそのエッセンスが注入され続ける限り、新しい創造、すなわち日本のクリエイティブは永遠に進化しないのではないか。

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てな感じで少女漫画ちょっと読んだだけでこんなに妄想が膨らんでしまった!しかも全部イメージだけ!途中から根拠の無いドキュメントストーリーが展開し、そして取って付けた様な批評で終わるマジカルミステリー&カットアップ(ネットに書いてあったことを切り貼りしただけなので)エントリー!
ヤバいね少女漫画って!ていうか川原泉って!サイケだよ少女漫画!