ライブでデジオを流す俺にリアクションは要らない

既に開かれたコミューンに直結せよ。悲しみは手癖で乗り越えよ。
瞬く間に放出された俺のリズムは自己のフリークアウトによって完結された。誰のリアクションも必要としない俺のライブパフォーマンス。それはこうしてすぐさまインターネットに直結され自己批評の間に文字化。
直帰→直結→帰結→気化→羽化→モカ
サンプラーそのものの商品価値などに俺は興味ない。そんなことはサンプラー屋に聞いてくれ。パッド数が増えようがエフェクトの種類が増えようが、遅延に遅延を繰り返し言い訳に言い訳を重ねる非ミニマル構造に甘んじて久しい現代社会の如く、それは増幅に次ぐ破滅のメロディでしかない。ただ一つ、再生される音声にタイムラグがあってはならないだけだ。そしてパッドが押されれば押されるだけ忠実に似て非なるそのリズムを放出しなくてはならない。さらにパッドを押す指は言わずもがな脳に直結している。
デジオはそんな非現実的な現実世界に音声ファイルという具体芸術を蓄積させる。デジオの宇宙は広がるデジオの宇宙が広がっていく。
これはライブ演奏でありデジオであり、そしてまたウェブログである。