ライブに向けて

サンプラーに音を取り込んでは消し、取り込んでは消し、結局最初に入れて残っていた自分のギターの音を採用。ギターループに合わせてギターを弾くギターアンサンブルを1曲。相変わらずライブに対する意欲は弱いままである。別に嫌いなわけではないが、やはりソロでのライブは必然性が感じられない。僕の場合、ライブで演奏するのと作った曲をMP3で聞いてもらうことに違いがないからだ。だた聴衆範囲を広げるにはやはりライブ活動が必要なのだと言い聞かせてライブに向けてテンションだけでも上げようと努力してみてはいるのだが、やはり身近な人に「曲聴かせてよ。」と言われて「じゃあCD焼いてきます。」と返すやり取りのほうがテンションが上がる。頼まれもしないのにジャケットまでデザインしてプリントアウトして切り抜いて折りたたんでCDケースに挟み込んでパッケージングしてしまうくらいだ。実際今ある知人の為にジャケットを制作している最中でもうジャケットだけで3日以上フォトショップで試行錯誤している始末だ。しかもライブで普段作っているような曲を演奏するのは無理なのでどうしてもライブ用に何か用意しなければいけない。そこで捻くれて「美味しんぼ」のタイトルコールを延々流したり、iTunesを延々弄ってみたり、その上パフォーマンスで自分をさらけ出さないのでその行為は中途半端に見えるのか、ライブに対するリアクションなど皆無に等しい。ライブを観に来る人はあまりリアクションをする気が無いのだろうか?単に声をかけるのが恥ずかしいだけなのかだろうか?やはり演奏が地味で印象に残らないのか?知り合いは知り合いで特にライブに関する話はせずに「最近どうしてる?」なんていう世間話に花が咲いて終わるし、知り合いがいなければ打ち上げで勝手に孤立して居づらくなる、結局俺は今日何をしに来たんだ?という風にライブ後のことを考えると憂鬱にならざるを得ないのだ。先日あれ程に絶賛した東村アキコの漫画も今ではやはり今風の流行漫画にしか見えなくなってしまい、でもやはりハチクロやのだめよりは幾分かマシであるという考えは変わっていないのだが、僕の嫌いなうすた京介を感じる箇所が多々見受けられてゾワッとしてしまうなんていう事実を見て見ぬ振りしていたし、勢いに任せて買った過去の短編集「白い約束」も残念なことに読めたものではなかった。というか作品ごとに絵柄が違っててまだ自己形成中という感じが否めなかっただけなのだが、最後の作品が何故かイニシャルDみたいなタッチで、人はこうやって大きくなっていくんだなと思った。結局オリジナルなんてものは露骨な真似の骨頂なのであって、人のやらない事をやれ!なんていう自己啓発文句を鵜呑みにして個性なんて浅墓な差異を当てにして生きていると只の金持ち父さんか貧乏父さんくらいの違いしか生まれないのだ。急に漫画の話になったが、このように最近何が良いのか何が好きなのか何がクールなのか何がおしゃれなのか何が面白いのか何がアバンギャルドなのか何がシュールなのか何がプログレッシブなのかわからなくなっている僕のライブ演奏は次回もきっと中途半端なんだろうと容易に想像がつくのである。そういう中途半端な位置を中間的な絶対区域と捉えるかいつまでも煮え切らない優柔不断なシャイボーイと捉えるかは個人の価値観の問題だろう。