何故J-POPばかり聴いていてはいけないのか?

個性的なミュージシャンやアーティストは一様に流行歌を毛嫌いし、音楽業界に絶望します。それなのに日本の商業音楽が一向に快方に向かおうとはせず、むしろコピーと保守的な思想に犯されるかのごとく退廃していく傾向にあるのは何故でしょう?それはミュージシャンや制作会社だけのせいではなく、毎日のように音楽を聴く私たちの姿勢にも原因があったのです。
絶対的な主題、いわゆるJ-POPのサビは価値感を強要してしまう危険性を孕んでいます。チャゲ&飛鳥の曲を例に挙げてみましょう。

「SAY YES / チャゲ&飛鳥
ぅあ〜いにぃ〜はあ〜いでぇ〜きゃんじぃあぅおぅうゆよ〜ガ〜ラスぅケぇ〜スにぃなぁらばーなぁ〜いよぉにぃ〜♪

このサビ部分を聞いた後に印象に残るのはバックで鳴っているギターのバッキングでもアルペジオでもサブリードでもサビの一回目と二回目をつなぐストリングスでも、ましてやドラムのリズムでもなく、飛鳥が歌うサビのメロディーです。特に一つの曲を全体的に(一般的に)聴いている人は必ずこのサビを聴いたあとすぐに真似をしてくださいと言われたら飛鳥の歌の部分だけを少し誇張気味に歌うでしょう。
このように往々にしてJ-POPには絶対的な主題が存在しており、その主題を100%伝えるためにアレンジを施しAメロやBメロが加えられています。他のサウンドは主題のメロディに逆らうことなく一切主張をしないのです。したがって一曲から一つの価値感しか見出せない仕組みになっているのです。このJ-POPのメカニズムを解っていれば問題はありませんが、こういったものを無意識に受け入れてしまうと、多くの聴衆は一つの価値感を無理矢理に共有させられることになります。これでは人々の感受性が平坦に画一化されてしまい社会生活において各々がアイデアを出し合っていくという喜びを忘れてしまうでしょう。
では、こういった単純な価値感を植えつけない多くの可能性に満ちた音楽はどういったものでしょう?コーネリアスの曲を例に挙げてみましょう。

Drop / Cornelius
なげる〜〜〜〜〜〜〜はねる〜〜〜〜〜〜〜なげる〜〜〜〜〜〜〜はねる〜〜〜〜〜〜〜♪

この歌詞だけを見るとかなり単調な価値感を与えているように思われるかもしれませんが、実際にこの部分の音を聴いてみましょう。バックで鳴っているのは左右に飛び交うギターのカッティングとスライディングのコンビネーション、不思議にリズムとシンクロした水の音、流れるようなベースライン、頭に一瞬だけ鳴らされるラッパのような音、細かくしなやかなドラミング、というようにボーカルのハーモニーも然ることながらそれに負けじと他のサウンドがサビのメロディを際立たせるだけでなくそれぞれが主張して様々な価値感を発信していることがわかります。ですから聴く人によって耳の残るメロディラインが異なってくるはずです。それは意識的にせよ無意識にせよ、一つの物事に対して複数のアイデアが混在する、または発想されるという事実に気付くことが出来ます。こうやって音楽だけでも普段から何気ない選択をするだけであなたの生活意識は随分と高められるでしょう。
私たちは繁華街から流れてくる流行歌に何の抵抗も無く耳を傾けてしまうことでこの雑多で猥雑な社会に蔓延る単調な価値感を何の疑いも無く受け入れ続けているのです。
かといってJ-POP自体を卑下するわけではありません。左記にあげたチャゲ&飛鳥を始め、あらゆるアーティストが素晴らしい絶対的な主題を作り出してきました。それは人によっては細かく再分化して聴くことができるサウンド構築に成り得ている場合も多々あるのです。問題はあなたの「聴く」姿勢です。今まで音楽を意識して聴いてこなかった方は、まず歌のないインストゥルメンタル音楽に耳を傾けることをおすすめします。普段サウンドを意識していないとどうしても歌声に耳が反応してそれだけが頭に残ってしまいます。それを解消する為にもまずは映画音楽やクラッシック、またはジャズ、テクノ、ポストロックなどを聴いてその曲の中で鳴っているあらゆる音を聴いてみましょう。そしてそれをきっかけに今まで味わったことのない音楽体験を経て自分のお気に入りの音楽家を増やしていきましょう。ほんの少しでも、今あなたの耳に囁きかけてくる音に神経を研ぎ澄ませてみてください。そうすることでこの国の社会はもっと豊かに、もっと明るいものになるでしょう。