6階に出来た青山ブックセンター

渋谷のHMVの上、6階に出来た青山ブックセンターはコミックがシュリンクされていないので読み放題!
ということで毎日CDを買ってもいられないのでCD以外で買ったものもメモしていくことにします。渋谷のHMVの上、6階に出来た青山ブックセンターの音楽本コーナーに”「三太」〜音と言葉をめぐる批評〜”なるフリーペーパーが置いてあって、今なら店員さんに言えばバックナンバーも貰えます(残小でした)。杉本拓など即興・音響の人たちが寄稿しているありがたいフリーペーパー。即興なんてものが受け入れられないのは単純に音だけでは受け入れられにくいからであって、興味をもって実践している僕でもわからないことだらけなので、そんな時に拠り所に出来るのはもうこういう次元で活躍している人の言葉しかないわけだ。そのあたりを踏まえて青山ブックセンターってとっても親切なお店ね!もう僕はまずそんなフリーペーパーを手にした瞬間にその棚の180度回った位置に平積みされていた高柳昌行・著「汎音楽論集」をこれを機にとばかり握り締め、そして漫画コーナーでシュリンクがない漫画空間に感激し、諸星大二郎先生の「私家版鳥類図譜」と今話題の武富健治「鈴木先生」を抱え上げていざレジへ。おもむろに「三太」を提示しつつ「バックナンバーまだありますか?」と尋ねると会計を済ませてからバックヤードへ小走りで一旦去るとそそくさと1号から4号まで全てを持ってきてくれました。
いやしかしこの「鈴木先生」という作品は非常に熱量のある漫画である。酢豚であれだけ心に染みるメッセージが出てくるあたりここ最近の漫画市場にはなかなか見られないパワーを感じる。時々出てくる70年代の劇画調なタッチが想像力を煽りそこから吐き出されるセリフに胸が熱くなる。主人公の教師の正義漢ぶりは少々鼻に付くというかリアリティに欠けるような気がするが一つの理想像としてはこれ以上に無いくらいのモデルである。昨今の教育テーマとの多少のずれがある(最後のエピソードはリアルタイムな感じ)のは作品自体がここ数年のうちに作られたものではないからだろう。作者自身このアイデア受け入れられず、二度の断筆時期を経験しているらしい。何故これが受け入れられなかったのかその当時の経緯は全く想像できないが、こういうものはこうやっていつか日の目を見るのだなーという思いが湧き上がった。しかしそれにしても一巻最後のコマは秀逸。基本的にやっぱり絵がいいんだな絵が(真崎守みたいな?)。。
昨日は勢いにかまけて「フリクション ザ・ブック」(河添剛・監修/加藤彰・編)を購入。付録のDVDが目当てだったが、流石に初めて彼らの音楽に触れる人間にとってあのビデオは酷。でも後半のベース、キーボード、ドラムの編成には当時の衝撃を想像するに容易な感触が溢れていた。それにリーダーのレックのインタビューも出てくる言葉が新鮮で興味深い。こういう所、何故か感受性剥き出しになってる今の僕(気分はハタチ)には痛いくらいの文化だ。最近は即興音楽と70年後半から80年代にかけてのポストパンク、ニューウェーブの繋がりを確かめたいという欲求に駆られている。それは僕の中での音楽創作に関するバランスの均衡化に繋がる研究課題のような気もしている。けれどそんな大袈裟に書くほどの研究意欲があるわけではなく、何となく聴いている音楽がその辺に偏っているだけである。