フェルメールの展覧会が日本で開催される理由〜爆発はいつ起こる?

新しい芸術を見出すという意味での芸術鑑賞を実践するにはどうしたらよいのでしょうか。その前に古い芸術を把握し、今までどんなものが人々の間で芸術だと認められてきたのか、芸術的な要素にはどんなものがあるのか知っていなくては、今目の前にあるそれが果たして新しい芸術なのかそうでないのか判断することが出来ないのではないでしょうか。その為に私たちはまず芸術の歴史を学ばなくてはなりません。しかし、全ての芸術を把握することは容易なことではありません。これから全ての時間を芸術のために費やしたとて、それは不可能なことかもしれません。では、全ての芸術を知らずに新しい芸術を発見することは出来るのでしょうか?あなたが今日見つけた自分だけの芸術が、実は百年も前に芸術だと認識されていたとしたら、それは果たして新しい芸術なのでしょうか?あなたは正しい芸術鑑賞をしたことになるのでしょうか?答えはイエスともノーとも言えます。例えばその対象が、あなたが以前どこかで出会った芸術作品を連想させるような特徴を持っていたとします。その場合は、あなたが経験の中で作り上げた芸術というカテゴリーにその対象を当て嵌めたに過ぎないので、正しい芸術鑑賞だとは言えないでしょう。しかし、もしその対象が全く知らないものであったり、今まで全く芸術だという認識を持ったことの無いものだったとしたら、それはあなたにとって新しい芸術であるといえます。そこで得た感動は今までの経験はもちろん、あなたの知らない芸術の歴史とも一切無縁であり、あなたにとっては全く新しい未知の芸術の発見だったわけです。ここでいう新しい芸術の発見とは、その瞬間のあなたにとっての問題であって、それまでのあなたや、あなたとその芸術以外の全てが介入することはできません。芸術の始まりというのはとても個人的な感情によって作られていたのです。今でこそ芸術という概念は広く一般的なものですが、その昔は限られた人にしか許されない特権のようなものでした。芸術作品を所持できるのは国を治める王様だけ。その作品を作れるのは王様に認められたエリートだけでした。しかも作品の題材は制限され、例えば画家は決まって神様の絵か王族の華麗な姿くらい、その作品が王様のお気に召さなければ芸術として認められず、画家の命さえ危ぶまれるというふうに、権威に支配された不自由なものでした。しかしそのような不自由な世界だからこそ現在まで語り継がれてきた芸術が世界中に点在しているのです。このように芸術というものは限られた人間の個人的な感情から生まれたのです。そんな高尚な芸術が時代とともに多様化し、権力とは無縁のものに成り得た今、王様連中に独占されていた芸術作品の多くは誰にでも鑑賞できるようになり、自由にそれらを批評できるようになりました。芸術が限られた人間のものでなくなった時、それは一人一人の感性が生み出す無形のエネルギーに還元され、昔よりも更に個人的な遺産になる可能性を持つに至ったと言えるでしょう。すなわち、このような芸術の歴史を学ぶ中で得た知識は正しい芸術鑑賞(新しい芸術の発見)を実践するあなたにとって却って重荷になってしまう危険性さえ孕んでいるわけです。では何故人は歴史を学ぶのでしょうか。芸術とはこういうものだ、という固定概念を植えつけられることであなたの新しい芸術を見出す力を失ってしまうかもしれないのに、人は何故過去の芸術を鑑賞するのでしょうか。自分で探すより簡単だからでしょうか?そういう人もいるかもしれませんが、目的は他にあるような気がします。おそらく私たちは、歴史を学ぶことで過去の芸術の中に潜む新しい芸術を探索しているのではないでしょうか。少なくともそういう意識を持って過去の芸術と接していれば、いざ全く新しい芸術を目の前にしたときに正しい芸術鑑賞が行えるのではないかと思います。歴史を学ぶということは古い知識を得ることではなく、その時に起こった感動や衝撃を想像し、一つの体験として胸に刻んでゆく作業なのではないでしょうか。私たちは芸術の歴史を学ぶことで、新しい芸術を見出す活力を養っていたのです。ですから、もうすぐ始まるフェルメールの展覧会でも、あなたは正しい芸術鑑賞を実践することが可能なのです。その際に、彼に関する情報やその当時の時代背景などを踏まえておく必要はありません。ただあなたが彼の作品を前に、これは偉大な画家が残した芸術作品なんだという意識を捨て去ることさえ出来れば、歴史という時間を飛び越えて、あなたと絵の間で芸術という瞬間が訪れるでしょう(何も起きなければ、あなたにとってそれは芸術ではなかっただけのことですので自分の感受性を疑う必要はありません)。ある芸術家が「芸術は爆発だ!」という名言を残していますが、この爆発というのは、作り手の感情論でも、作品が完成した瞬間でもなく、誰かが何かに芸術性を見出した時、その人とその対象物がぶつかり合う瞬間の衝撃のことを言っていたのではないでしょうか。その爆発に出くわすことが出来れば、対象物がなんであれ、あなたがそこから新しい芸術を産んだことに変わりないのです。